8月9日に放送の「この差って何ですか?」にて
日本の城が白い城と黒い城がある理由について解説していました
日本で未だに建てられていて見ることができる城
実は城は白いものと黒いもので分けられているという事をご存知ですか?
高知城・彦根城・姫路城・名古屋城は外観が白く、熊本城・松本城・広島城・岡山城は外観が黒くなっているんです
白と黒の城は偶然ではなくちゃんと理由があって分けられているとのこと
一体どういうことなのか・・・・番組では詳しく解説していました
建築技術の進歩によって白と黒の色の違いが!
まず1つ目の大きな理由は城が作られた時代にあります
黒い城は豊臣秀吉の時代に、そして白い城は徳川家康の時代に作られました
徳川家康が天下泰平を果たした1600年の関ヶ原の戦い以降から白の色は大きく変わり
1603年 高知城 1606年 彦根城 1609年 姫路城 1611年 名古屋城 とすべて白い城が建てられています
豊臣秀吉の時代に作られた城は 1588年 熊本城 1590年 松本城 1591年 広島城 1597年 岡山城 と全部黒いのです
・どうして1600年から色が変わったのか?
豊臣秀吉の時代は外壁に防腐剤のために黒漆を使用していたので黒い城が建てられました
徳川家康の時代は石灰を使った漆喰という火に強い当時の最新技術を使ったので白い城となりました
建築技術の進歩により黒と白の差が生まれたわけですね
そして面白いのが2つ目の理由です
黒には敵から隠す効果、白は大きく見せる効果があるので使用されていたとのこと
豊臣秀吉の戦国時代には敵から見つかりにくく小さく見えて実は威力がある実践に向いた黒い城が建てられました
そして時代が流れて関ヶ原以降は戦のない時代となると白は大きく見せて威厳を見せやすい白い城が建てられる事となりました
白は膨張色、黒は収縮色となり同じサイズのものでも白は大きく、黒は縮んで小さく見えるとされています
当時の人は白と黒のそれぞれの色の効果を理解していたのか?
白は膨張色で黒は収縮色というのを知っていて城を建てたのか?実は当時の人々がそれを理解していたという証拠がありました
囲碁で使われる黒と白の碁石、大きさは全く同じに見えますが黒い碁石は22.20mm 白い碁石は21.87mmと黒い碁石が約0.3mm大きく作られていました
黒は小さく見えるというのを理解してあえて大きく作っているんですね
江戸時代から碁石はこの大きさで統一されているというのは当時から理解していたという証拠となるわけです
まとめ
城の主の好きな色で適当に建てていたわけではなかったんですね
天下泰平になったのを区切りに逆色が使われているのはとても興味深い話でした
当時から黒と白の色の特徴を理解して使いこなしていたのもおもしろかったです