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もしも自分の嫁が元キャバ嬢だったら周りに話すかどうかをマツコと有吉が考える

2015年3月18日放送のテレビ朝日マツコ&有吉の怒り新党」(毎週水曜23:15〜)にて


バツイチ、水商売経験があることについて秘密にしたほうがいいかについてマツコと有吉が語っていました







主婦(29) 女性




私はもともと夜の仕事をしていました


その頃一度結婚していてバツイチですが今は再婚しています


私はバツイチも水商売をしていたことを聞かれたら話したいです


しかし主人からは聞かれたら嘘で誤魔化して欲しいと言われてしまいました


この話はお墓まで持っていくべきなのでしょうか?


結婚して地元を離れているので周りから分かることはおそらくないです




誰にでも言いたくない過去の1つや2つはあるもの










有吉   「言いたいってのがよくわからないよね。誰に言いたいの?家族?」


夏目   「もし聞かれたら嘘はつきたくないっていう事ですかね」


マツコ  「そこだけ逆に隠してるって何か負い目を感じたりしない?」


      「人に言えない話って皆もってるじゃない?職業とかに限らずさ」


      「「水商売やってた女なんてもらって」って言うバカみたいな親戚だって中にはいるわけじゃない?」


      「今時キャバ嬢くらいって人が大多数だろうけど、一部の人のために言わないでおこうとは思わないのかな?」






今では水商売をやっている女性は別に珍しくはないですね


銀座のホステスで働いていた大学生がそれを理由に内定を取り消されたなんてニュースもありましたが


裁判で結局は内定取り消しはおかしいって判決がでてました


水商売をやっていたからといって特別視されることは最近は少ないのでしょうね


ただ家族に妻が水商売経験者と伝えるのはちょっと・・・という気持ちはわかります


自分はよくても家族や親戚に白い目で見る人もいますからね。難しいです







キャバ嬢であることがステイタスになっている?







有吉   「自慢なんじゃない?「NO.1にも何回もなってー」「その時の写真なんだけどー」みたいな」


マツコ  「何年か前にあったよね。女の子のなりたい職業ランキングにキャバ嬢が入ったこと」


      「だからもしかしてもう違うのかもね。私たちの感覚と」


      「キャバ嬢やってますってのがスチュワーデスやってますみたいなさ」


      「六本木とか銀座あたりの有名店だったら、そのへんのOLやってる人より誇らしげとかさ」



有吉   「誰と知り合いです、誰と話したことあります、こんなに名刺持ってますとかね」









そういえば女の子と将来なりたい夢ランキングでキャバ嬢が入ったなんて話もありましたね


昔だったらケーキ屋とか花屋、保育園の先生なんてのが上位でしたが時代は変わるものです


綺麗なドレスを着て派手なお店で働くのが憧れのステイタスになってるんですかね







もしも有吉の嫁が元キャバ嬢だったら・・・








マツコ   「私はこの旦那のシチュエーションは訪れないけど、あなたはキャバ嬢と恋に落ちることもあるわけじゃない?」

      
       「それが女房になることもあるわけじゃない?たとしたらどうですか?」


       「皆に紹介するときに「コイツ六本木のキャバクラだったんだよ」って言う?」



有吉    「まぁまず僕は自分が付き合ってる女性のことを「コイツ」なんて言わないっていう・・・」


マツコ   「あーもう、うるさいうるさい(笑)だからモテないんだよ!」


有吉    「うるさいね(笑)どうかなーー?言うかなー?・・・・・言わないだろうね」


       「奥さんが元なにをしてたかを言う必要はないって思う」
      

       「何してたの?綺麗な奥さんだけどって言われた時どうするかだよね」


マツコ   「そうよー。どこで知り合ったのよ、こんな綺麗な人と」


有吉    「あっ・・・えっと・・・・モデルやってました(笑)」


夏目    「嘘ついちゃうんですかー?」


マツコ   「じゃあもう言わないほうがいいよ!(笑)」






芸能人である有吉でも嫁が元キャバ嬢ということは秘密にしたいみたいですね


聞かれた時に嘘をつきたくないという相談者の気持ちはわかりますが、やはり秘密にしといたほうが良さそう


でも自分の子供や義理の両親にまで嘘をつくのは悲しいといえば悲しいです


ありのままの自分を見せても良いかもしれませんが、白い目で見る人が中にはいるということは肝に命じなければ